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芦田城 |
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●地図● 群馬県藤岡市藤岡 |
2017年7月23日更新(訪問日:2014年5月18日) |
◆概要◆ 芦田城は1590年に依田信蕃の次男・依田康勝により築かれ、別名・藤岡城とも呼ばれました。 依田康勝は1590年の後北条氏討伐の際、徳川軍の一員として参戦しました。 後北条氏方の上野国石倉城を攻めた際に兄が討たれたため家督を継ぎました。 兄の後を受けて石倉城を激しく攻め立て、落城させています。 戦後、武蔵国榛沢郡と上野国緑野郡の合わせて3万石が与えられ、藤岡に城を築きました。 依田康勝は父や兄同様、徳川家康に実力を認められ、松平姓を許されていました。 しかし、1600年、関ケ原の戦の前に大坂の宿で囲碁をしていた際、同僚の小栗三助と口論となり刺し殺してしまいました。 依田康勝は高野山に籠り謹慎したものの改易処分となり、芦田城は廃城となりました。 その後、依田康勝は結城秀康の家臣となり、越前国木本5000石を与えられました。 その際に世間を憚り、名を加藤康寛に改めています。 |
![]() 住宅街の中に高い土塁があります |
![]() 北側(外側)から見た所 |
![]() 「城址緑地」となっています |
![]() 芦田城址のプレート |
![]() その真上にある井元たい女史の銅像 |
![]() 土塁は二階建ての家を見下ろす高さです |
![]() 土塁の北西の角 |
![]() 土塁の内側(南側) |
![]() 城跡にある藤岡第一小学校 |
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