麻場城
所在地:群馬県甘楽郡甘楽町白倉
2017年7月23日更新(訪問日:2014年5月17日) | |
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◆概要◆ 城址公園の駐車場が東側にありますが、私は二の丸までバイクに乗って行きました。 麻場城は南から北に伸びる舌状台地を利用し、堀切で断ち切った構造となっています。 先端部の本丸が城址公園として整備され、二の丸は本丸に接する20メートル程が残されています。 本丸は深さ7、8メートルの堀に囲まれ、その外側をさらに同じ高さの土塁が囲んでいます。 本丸の先端部に物見櫓が復元されていますが、発掘調査の結果に基づいたものだそうです。 麻場城は文明年間(1469〜87年の間)頃、白倉氏により築かれたとされます。 東へ約500メートルにある仁井屋城とは別城一郭となっており、2つ合わせて「白倉城」と呼ばれていました。 城主の白倉氏は小幡氏の一族で、関東管領・山内上杉氏の重臣でした。 長野業正が没した後の1563年、侵攻してきた武田信玄に降伏し、以後は内藤相備え組衆として内藤昌月に従います。 1582年に武田勝頼が滅ぼされた後は滝川一益に従い、本能寺の変後は後北条氏に従いました。 そして、1590年に後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると白倉宗任は領地を失い、城も廃城となりました。 |
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想像図 |
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二の丸の大部分は畑となっています 二の丸の城址公園入口 垣根沿いにある上の想像図 二の丸の本丸側の土塁 いきなり深い堀があります 堀の先は本丸です 深さは7、8メートルあります 本丸は綺麗に整備されています 本丸側から見た二の丸との間の堀 本丸と二の丸を結ぶ土橋 西側の堀と土塁 東側の堀と土塁 東側の堀と土塁 |
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