岐阜城
所在地:岐阜市金華山
2018年9月25日更新(最終訪問日 2018年9月22日) | |||
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◆概要◆ 岐阜城は金華山(稲葉山)に築かれた山城で、織田信長が斉藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して新たに造営したものです。 その始まりは鎌倉時代に二階堂行政が築いた砦だと考えられています。 室町時代になると美濃守護代・斎藤利永が修復して居城とするようになりました。 難攻不落の名城とされていますが、歴史上6回落城しています。 (@1525年、斎藤家臣・長井長弘と長井新左衛門尉の謀反、A1564年、竹中半兵衛重治と安藤守就の謀反、B1567年、織田信長、C1582年、本能寺の変、D1583年、賤ケ岳の戦い、E1600年、関ヶ原の戦い) 山頂部の平坦地は少なく、井戸も雨水を蓄えるものなので、戦国時代末期の大人数による長期籠城戦には本質的に不向きでした。 織田信長時代の山頂部には、織田信長の家族や人質が暮らしていました。 関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康により廃城とされ、加納城を新たに築きました。 この時に天守や櫓などが加納城に移築されました。 |
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「国史跡岐阜城跡」説明板の図 |
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岐阜公園前から見た岐阜城 岐阜公園 板垣退助像 織田信長居館跡入口にある冠木門 土塁 石垣 織田信長居館跡 七曲り登山道(大手道) 七曲り登山道(大手道) 山上のロープウェーのりば 伝・一ノ門跡 伝・馬場跡 堀切 太鼓櫓跡 伝・二ノ門跡 下台所跡 天守のすぐ下 天守(2007年) 岐阜城史料館 石垣・井戸跡 現存する石垣 |
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