三春城
所在地:福島県田村郡三春町大町
2018年5月27日更新(最終訪問日 2018年5月26日) | ||||
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◆概要◆ 三春町役場、三春小学校が江戸時代の城主・秋田氏の居館跡で、その裏山が三春城跡です。 南西と中腹に駐車場があり、登城路を登った所が二の丸で、さらに虎口を経て本丸に至ります。 虎口周辺では石垣も見られ、本丸内に「奥跡」としてもう一段高くなった場所があります。 遺構は公園化の影響でかなり改変されているように見受けられますが、虎口や曲輪など往時の面影を偲ばせる所も多々あります。 別名・舞鶴城とも呼ばれ、坂上田村麻呂の子孫と称する田村郡の領主・田村氏の城でした。 築城年代は不明ですが、永正年間(1504〜20年の間)から田村義顕が本拠としました。 田村氏は1585年に田村清顕が没すると、どの勢力と組むかで家中が分裂。 最終的に伊達政宗を頼りましたが、豊臣秀吉の小田原征伐の際に騙され出陣しなかったため、領地を失いました。 その後、三春の領主は次々と代わり、1645年以後は秋田氏(安東氏)が城主となり明治時代まで続きました。 1871年の廃藩置県により廃城となり、城内の建物が破却されました。 1922年には本丸ば公園として整備され、山麓の居館部分には役場や小学校などになりました。 2017年4月6日に続日本百名城に選出されました。 |
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秋田氏入府時の城郭想定図 |
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明徳門(三春小学校正門) 二之門跡 旧二の丸脇にある堀切 旧二の丸(城山公園) 旧二の丸の下にある腰曲輪 上から見た堀切 駐車場になっている腰曲輪 説明板、城址碑と二之丸跡の標柱 二之丸 四阿の脇にスタンプがあります 本丸の虎口 上から見た矢倉跡 奥跡 本丸大広間跡 二之丸大門跡 三之門跡 三之門跡 揚土門跡 揚土門跡 竪堀跡 下から見た竪堀跡 |
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