大野城
所在地:福岡県糟屋郡宇美町四王寺ほか
2019年9月1更新(最終訪問日 2019年8月1日) | |||||||
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◆概要◆ 百済復興を目指す天智天皇は、663年の白村江の戦で新羅・唐連合軍に敗れました。 そこで天智天皇は大宰府の防備を固めるため、様々な防衛施設を建設しました。 その中の1つとして、大野城が大宰府の真北にある標高410メートルの四王寺山一帯に築かれました。 四王寺山には尾根をつたって総延長8km以上に及ぶ土塁が山腹をめぐり、土塁が谷にかかる所では石垣が築かれ、北方に1ヵ所、西南に1ヵ所、南部に2ヵ所城門が置かれました。 城内の高く平らな所には、数棟ずつ建物が建てられ、都合70棟ほど礎石群が残っています。 中には望楼あるいは屯所的なものもみられますが、大多数は梁間三間、桁行五間という規格に統一され、礎石を用いた総柱の建物でした。 これらは高床式の倉庫であり、武具の他に炭化した米粒などが検出されている事から、穀物なども貯蔵していたことが分かっています。 山頂の西に張り出した尾根を火ノ尾崎といい、烽火台跡、鼓峰は今で言う軍団駐屯地跡とされ、毘沙門天の遺構があります。 付近では経筒などの遺物も出土しています。 |
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案内図 |
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四王寺県民の森管理事務所 焼米ヶ原駐車場前の土塁線 増長天礎石群 増長天礎石群脇の土塁 岩屋城の馬場と伝わる馬責め 大石垣 大石垣 南西部の土塁 水城口城門跡 広目天礎石群 けいさしの井戸 西側の堀と土塁 毘沙門堂 上から見た百間石垣 間近に見た百間石垣 下から見た百間石垣 北石垣への道 断崖に残る北石垣 北石垣を拡大 小石垣全体 小石垣 |
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