小倉城
所在地:福岡県北九州市小倉北区城内
2019年6月9日更新(最終訪問日 2018年8月10日) | |||
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◆概要◆ 小倉城は紫川西岸にあり、鎌倉時代末頃に緒方帷重により築かれたとされます。 戦国時代には豊臣秀吉の命令により、森勝信が入城して毛利姓に改名しています。 毛利勝信は関ケ原の戦で西軍だったため改易され、代わって細川忠興が豊前の主となりました。 細川忠興は当初は中津城に入りましたが、小倉城を改修して新たな居城としました。 1632年に細川忠利が肥後54万石に移ると、明治時代まで小笠原氏の城となりました。 1837年の火災により天守が焼失しましたが、再建はされませんでした。 幕末には長州藩の攻撃を受け、藩主は城に火を放って肥後に逃げました。 現在は勝山公園となっており1959年に天守が建てられましたが、創建当時は無かった装飾的な破風が多用されています。 |
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北西角の堀と石垣 八坂神社にある多聞櫓風の建物 門は神社です 北の丸にある八坂神社 社殿と門以外は城郭風 堀が入り込む所から見える復興天守 北東側から見た北側の堀 虎の門跡 虎の門跡の桝形 北東部分の石垣は復元です 大手先門跡 大手先門跡付近から見た復興天守 北口門跡付近から見た復興天守 北口門跡 北の丸と本丸の間にある堀 多聞口門跡(現地の石碑通りの表記です) 多聞口門跡の食い違い 着見櫓 本丸から見た堀の南西部分 槻門跡(工事中) 本丸の南側(白洲灯台のある所) 鉄門跡 西ノ口門跡 西ノ口門跡から見た堀の南西部分 二の丸跡にある松本清張記念館 上から見た大手門跡 大手門跡 小倉城庭園入口 リバーウォークから見た復興天守 市役所展望台から見た復興天守 |
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