宇和島城
所在地:愛媛県宇和島市丸之内
2018年8月12日更新(最終訪問日 2018年8月7日) | |||
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◆概要◆ 日本国内で現存している12棟の天守の1つで、重要文化財に指定されています。 別名は「鶴島城」、「丸串城」とも呼ばれています。 941年にあった藤原純友の乱の際に橘遠保により砦が築かれたとされます。 鎌倉時代中期に西園寺氏の支配下に入り、戦国時代には西園寺家臣・家藤監物が城主を務めました。 1585年に小早川隆景が西園寺氏を攻め下して、小早川家臣・持田右京が城主となりました。 1595年に藤堂高虎が城主となると大改修が加えられ、今日見られる形になりました。 この時に地名も「板串」から「宇和島」に改められています。 城の形は五角形になっており、城を囲んだ寄手に四角形の城と誤認させ、残る一方から反撃する戦法を想定していたとされ、江戸幕府の隠密もこの城を四角形と報告したと伝わります。 藤堂高虎が伊勢に移った後は富田信高が城主となり、1615年に伊達政宗の長男(庶子)である伊達秀宗が城主となると、明治時代まで伊予伊達家の居城となりました。 当初は望楼型の三重天守でしたが、2代目藩主・伊達宗利によって現在の形に改められました。 東側に堀、西側半分が海により守られていましたが、現在は堀も海も埋め立てられ宇和島市街に囲まれています。 |
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説明板の城内マップ(文字が見えづらくなる所は書き足しています) |
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東側登城口にある桑折氏武家長屋門 国道56号線は三の丸跡 西側登城口にある上り立ち門(現存) 石段 桝形 式部丸の門跡 式部丸 代右衛門丸の石垣(立入禁止) 式部丸の奥にある曲輪 式部丸の奥にある櫓台 代右衛門丸の石垣 長門丸 長門丸の外縁にある石塁 長門丸北角矢倉跡 城址碑 藤兵衛丸手前の門跡 藤兵衛丸手にある城山郷土館 下から見た三之門跡と本丸の石垣 三之門跡 二の丸 一之門跡 本丸 御台所跡 現存天守 井戸丸 井戸丸の石垣 井戸丸の虎口 |
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