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川之江城 |
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●地図● 愛媛県四国中央市川之江町(川之江城山公園) |
2018年10月9日更新(訪問日 2007年8月21日) |
◆概要◆ 南北朝時代の1337年、南朝方の河野通政が北朝方の細川頼春に備えて家臣・土肥義昌に砦を築かせたのが始まりです。 鷲尾山山頂に位置した川之江城は、伊予・讃岐・土佐・阿波を結ぶ街道を抑える交通の要衝でした。 1342年に細川頼春に攻められ落城しました。 戦国時代になると河野通直に返却され、その家臣・妻鳥友春が城主となりました。 妻鳥友春は1572年に三好長治の攻撃は撃退したものの、1578年になると長宗我部元親に寝返り、翌年には旧主・河野通直に討たれました。 その後、長宗我部軍と河野軍による争奪戦が繰り返された後、四国を制圧した豊臣秀吉の城となります。 城主がめまぐるしく交代して加藤嘉明の時(1601〜31年の間)に廃城となりました。 加藤氏の次に川之江の領主となった一柳直家が再度城を築こうとしましたが間もなく没し、以後天領(幕府直轄領)となったため城は築かれませんでした。 城跡には石垣が残るのみでしたが、1984年に川之江市が市政施行30周年を記念して、本丸跡に天守、涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀などを建て現在に至ります。 |
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