今治城
所在地:愛媛県今治市通町3丁目
2018年8月11日更新(最終訪問日 2018年8月7日) | |||
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◆概要◆ 関ヶ原の戦で戦功を挙げた藤堂高虎は、伊予半国が与えられて国府城に入城しました。 その後、本拠地を海岸部の今治に定めて築城を開始し、1604年に完成しました。 三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、海から堀へ直接船で入ることができるなど海を最大限に活用しており、日本三大水城(今治城、高松城、中津城)の1つに数えられています。 この時に5層5階の天守が建てられましたが、藤堂高虎が伊勢に移封する際に徳川家康に献上し、丹波亀山城に移築されました。 藤堂高虎の後は養子の藤堂高吉が城主となりましたが、その後、松平定房以後、松平家の居城として明治維新を迎えました。 明治時代になると城内の建築物は破却され、長らく石垣と堀のみの状態となりましたが、1980年に今治市制施行60周年を記念して天守と武具櫓が再建されました。 その後、1985年には御金櫓、1990年には山里櫓、2007年には鉄御門や多門櫓などが相次いで復元されました。 |
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北東面。左から御金櫓、鉄御門、武具櫓 南東面。手前が御金櫓。 多門櫓と鉄御門 鉄御門の桝形 鉄御門から見える天守 藤堂高虎像 天守前の桝形 天守前にある吹揚神社 吹揚神社境内から見た天守 山里櫓脇の門 山里櫓の下にある高麗門 山里櫓と門 山里櫓と天守 武具櫓、山里櫓と天守 北西面。左から武具櫓、天守、山里櫓 |
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