佐倉城
所在地:千葉県佐倉市城内町
2017年5月20日更新(最終訪問日 2017年5月20日) | |||
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◆概要◆ 鹿島山の西端部に築かれており、別名・鹿島城とも呼ばれていました。 1550年頃には千葉親胤、1580年頃には千葉邦胤が築城しようとしましたが、いずれも家中の争いにより殺害され中断されたため、完成しませんでした。 江戸時代に老中の土井利勝が本佐倉の領主となりましたが、江戸の守りを固めるための近世城郭として佐倉城を完成させました。 石垣は用いず、土塁や堀・枡形・横矢掛りを巧みに配置して、『守るに易く攻めるに難い城』と評されていました。 城主8名が老中となっており、俗に『老中の城』と呼ばれていました。 明治時代に入り建物は破却されましたが、主要部の堀や土塁などの遺構はよく残されています。 国立歴史民俗博物館は椎木曲輪の跡に建てられています。 |
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@大手門跡(説明板と石碑があるのみ) A佐倉城址公園センター 入口にある説明板 B三ノ丸の空堀(入口から見て左側) B三ノ丸の空堀(入口から見て右側) C三ノ門跡 D三ノ丸・浅間神社跡(富士塚) D三ノ丸・虎口 D三ノ丸・虎口(下から) E二ノ門前のハリス像と堀田正睦像 E二ノ門脇の堀 E二ノ門跡 E二ノ門脇の土塁 E二ノ丸の土塁 E二ノ丸・南の虎口 F本丸・台所門跡 F本丸・台所門脇の土塁 F本丸・隅櫓跡 G天守跡の石碑 G天守台 A天守の模型(佐倉城址公園センター内) G銅櫓跡 H一ノ門の土塁 H一ノ門跡 I一ノ門の前の空堀 I発掘された礎石 J馬出し空堀 K椎木曲輪(国立歴史民俗博物館) L田町門跡 L正面から見て右側の水堀 L正面から見て左側の水堀 L正面から見て左側の水堀 L田町門跡から登る道は雰囲気があります M南側の出丸 M南側の出丸 M南側の出丸 N西側の出丸(手前に水堀があります) N西側の出丸・伝 佐倉城内薬医門 N西側の出丸・土塁 |
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