小弓城

所在地:千葉市中央区南生実町
2011年5月17日(訪問日 2011年5月14日)

◆概要◆


小弓城は千葉兼胤が亥鼻城を築いたのとほぼ同時期に築かれ、千葉兼胤の弟・原胤高が城主となりました。 以後、小弓城は原氏歴代の居城となります。 千葉氏の勢力が弱まると真里谷氏が台頭し、古河公方・足利政氏の子で僧籍にあった足利義明を還俗させ、小弓城を奪って小弓公方としました。 その後、真里谷氏と足利義明が対立するようになると、真里谷氏は後北条氏と、足利義明は里見氏と組み、国府台で激突しました(第一次国府台合戦)。 この戦いで足利義明は討死して小弓城は原氏に奪還されたため、小弓公方は滅亡しました。 小弓城を奪った原氏は、約1km北に新たに生実城を築き、小弓城は廃城となりました。 どちらも「おゆみ」と読むため、小弓城を南生実城、生実城を北生実城と記載し区別しています。 八剣神社から埋蔵文化財調査センター周辺までが城域であったと考えられ、その広さは500m四方にもなる広大なものでした。 現在でも所々に土塁や空堀などが散見され、在りし日の様子を想像しながら歩くととても興味深い城跡です。
小弓城 八剣神社
八剣神社
小弓城 土塁
土塁
小弓城 畑
城跡の大部分は畑となっています
小弓城 切通し
切通し
小弓城 曲輪
曲輪
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