大椎城

所在地:千葉市緑区大椎町
2011年5月15日(訪問日 2011年5月14日)

◆概要◆


平忠常(975-1031)は常陸国、上総国、下総国に広大な所領を有し、上総介と称していました。 その居城として大椎城が築かれました。 平忠常の曾孫で大椎城を居城とした千葉常重が千葉姓を名乗ったため、千葉氏発祥の地となりました。 その子・千葉常胤が源頼朝に従って大活躍すると、千葉氏の敵対勢力も粛清されて、一度は勢力を盛り返しました。 しかし、9代・千葉宗胤が元寇のため九州に赴くと、不在の間に弟・千葉胤宗を推す者が現れ、千葉一族内の抗争が勃発しました。 この結果、千葉宗胤は九州に残って九州千葉氏の祖となり、千葉宗家は10代・千葉胤宗が継ぎましだ。 1455年の享徳の乱でも千葉氏は内部分裂して嫡流が滅亡。 有力家臣であった原氏の台頭などもあり、千葉氏は次第に衰退していきました。 戦国時代に入ると常陸の佐竹氏、小弓公方・足利義明や安房の里見氏の侵攻を受けるようになりますが、北条氏康と姻戚関係を結び、後北条氏の支援を受けながら領地を守りました。 しかし、千葉氏内部では26代・千葉親胤が原親幹により暗殺され、29代・千葉邦胤も1585年に家臣の手で暗殺されるなどの混乱が続きました。 そして1590年、31代・千葉重胤の時に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅ぼされ、千葉氏も領地を没収されたため、戦国大名としての千葉氏は滅亡しました。
大椎城 城址碑
城址碑
大椎城 土塁
土塁
大椎城 堀
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