岡崎城
所在地:愛知県岡崎市康生町
2018年9月17日更新(最終訪問日 2018年9月16日) | |||
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◆概要◆ 1452年または1455年に龍頭山の砦として三河国守護代・西郷氏が築城しました。 1531年には松平清康(徳川家康の祖父)が城主となり勢力を拡大しましたが、1537年に家臣の謀反により命を落としました(守山崩れ)。 さらに、1549年には松平広忠(徳川家康の父)も家臣により殺害されると、岡崎城は今川氏の属城となりました。 1560年にあった桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、松平元康(後の徳川家康)は岡崎城を取り戻して今川家から独立しました。 1590年、豊臣秀吉による小田原征伐の後、徳川家康が旧北条氏領である関東に移されると田中吉政が城主となり、近世城郭として整備しました。 江戸時代には譜代大名が城主を務め、5万石ながら「開祖出生の地」ということで誇りにしたといわれています。 1873年に廃城となり、天守をはじめ建築物はことごとく破却されました。 |
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岡崎公園案内図(文字が小さいので記入しました) |
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東隅櫓 東隅櫓 東隅櫓下の切通し 東隅櫓 大手門 二の丸の北側 西側の石垣と堀 西側の入口 能楽堂裏の堀と石垣 本多忠勝像 徳川家康像 松平元康像 持仏堂曲輪の門跡 堀 持仏堂曲輪の門跡 持仏堂曲輪 本丸北側の堀 持仏堂曲輪から見た天守 本丸の入口 本丸東側の堀と高石垣 巽閣 龍城神社越しに見える天守 天守と龍城神社 天守前西側の門跡 天守前西側の門跡 本丸西側の堀 城の西側を流れる伊賀川 龍城堀 城の南側を流れる乙川 二の丸東側の石垣 |
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