清洲城
所在地:愛知県清須市朝日城屋敷
2018年10月8日更新(訪問日 2007年5月4日) | ||
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◆概要◆ 1405年、室町幕府三管領の一人である斯波義重により築かれました。 当初は守護所である下津城の別郭として築かれましたが、下津城が守護代織田家の内紛により焼失。 そのため、清州城が守護所となり、尾張の中心として栄えました。 織田大和守家(尾張下四郡守護代)の織田信友が1555年、尾張守護・斯波義統を殺害。 織田弾正忠家(大和守家の三奉行の一分家)の織田信長が仇討ちとして織田信友を討ち取り、清州城へ本拠を移しました。 織田信長は1563年に小牧山城へ本拠を移しましたが、清州はその後も尾張の中心として重要な位置を占めました。 その後、徳川家康により名古屋城が築かれると解体されてその資材となり、1613年の名古屋城完成とともに廃城となりました。 旧清洲町の町制100周年を記念して1989年に再建されましたが、資料がほとんど残っていないため、外観は想像により造られました。 また、城跡は東海道本線と東海道新幹線により分断され大部分が消失しており、現在は本丸土塁の一部が残るのみです。 そのため、現在の清洲城はかつてとは異なる位置に建てられています。 |
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