逆井城
所在地:茨城県坂東市逆井
2018年7月21日更新(最終訪問日 2018年7月21日) | |
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◆概要◆ 逆井城は南北朝時代に小山義政の五男・逆井常宗により築かれました。 当時は周囲を沼に囲まれていましたが、江戸時代の干拓により埋め立てられ水田となりました。 小山常宗は逆井姓を名乗って古河公方に仕えましたが、孫の逆井常繁の時(1536年と伝わります)に後北条氏の侵攻を受けて滅びました。 以後は「飯沼城」と呼ばれるようになり、常陸・下総方面への最前線基地として北条氏繁により大規模な改修を受けました。 しかし、1590年に豊臣秀吉により後北条氏が滅ぼされると運命を共にし、逆井城も廃城となりました。 現在は城址公園として整備されていますが、発掘調査や時代考証をもとに中世の石垣を用いない戦国期関東の城を復元しています。 その際、遺構保護のために実際とは異なる位置に復元されているほか、関宿城の移築門などがあります。 |
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入口にある図 |
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復元・物見櫓 井楼矢倉 外から見たところ 西側の土塁 西側の虎口 北側の堀が入り組んだ所 北側の空堀 鐘掘り池 北側の曲輪 櫓門があります 櫓門と橋 この辺りの堀が一番深い 北東の曲輪。広くて平ら 城の北側の田んぼはかつて沼でした 北東の曲輪の東側にある堀と土塁 北東端にも井楼矢倉があります 北東の曲輪の外側 北東の曲輪の東側にある横矢掛 北東の堀の南端に架かる木橋 関宿城の移築門 復元主殿 |
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